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批評

CardWirthPyとはなんだったのか(後編)

本文なし
忘れないうちに。
 去年の12月に、k4nagatsukiさんから声明があった。
 具体的な内容はリンク先を参照してもらうとして、ここでは声明を精査した時にあらわれる、笑えない笑い話とゾッとする未来を話してみたい。


  同類?

できれば設計についての基本的な考え方(互換性関係やバグ対応の優先等々)は継承していただきたいところですが、そこまでの贅沢も言えません。



(スキンやシナリオのライセンスに関して)
そういう問題がある事はある程度分かっていますが、私にそれに対応する能力が無いというのが現状です。私の意思に反したforkがなされるのも仕方ありませんし、それは生存という意味ではましな方の展開だと思います。



私にとってのそれは(過去のシナリオが遊べる状態で)CardWirthが生きている事であり、それは少なくとも今までは続いています。逆に言うと、それ以上の事はなにもありません。


 この声明を言葉どおり受け取ったとしよう。
 作品が消えると悲しい! 文化保存のために(アレの定義する)新品互換品を作ります! ってヤツと何が違うの?

 自分が守らなかったからといって、互換性やバグ対応に「そこまでの贅沢は」とか、対応する能力がないから「生存という意味ではまし」とか、二次創作者にその主張をする権利は無いよ。


  今度はWSN

 では氏の主張どおり、思想的に相容れずforkした、しかし「生存のためにはそこまでの贅沢も言えないPyの亜流」が出てきたことにしよう。
 Pyと同等の手続きを経て登場した「Cardwirthシラス」である。

 内容は……おのおの最悪のものを想像してくれてかまわないけど(w。
 さて、どうなるか。

 ここでいう「Pyと同等の手続き」とは、Pyが掲げている開発方針を墨守したものではない。自分たちがロクに守らなかったものをなんで新規の外様が守ってくれると思うね?

 他のPyエンジンは抵抗できない。何の正義もないから。
 WSN仕様のシナリオはそれぞれForkしたエンジンに切り刻まれる。シナリオ作者はWSN仕様を読み込めるエンジンの一部でプレイしないよう「お願い」するしかない。オープンソースである以上、プログラム的抵抗も不可能だから。

 ここで初めて、Pyに無断で使われ続けていることに気付いた、1.50以前のシナリオ作者の戸惑いがわかるかもしれない。


  官僚の無謬

 バカバカしい。
 かいつまんで言おう。

 k4nagatsukiさんの「情熱」が失われた理由の一つ、そしてあの声明を書かせた理由の一つは前編に書いた通り「エンジンの改変は既存のシナリオに対しても二次創作になるという観点が欠けていたこと」だ。
 権利を侵害する立場だと気付いたとき、仕様開発の大義名分が根底から崩されてしまった。あとはもう典型的なgarbage outの発見で、いままで調子よく改変、許可していた部分が、一転して膨大な判断ミスの山になった。この過失は明快ながら、本人は認めない。ただ「開発が停滞」しただけだ。

 あるブロガーに10年やっても互換性がありません、とケツを蹴り上げられ、Pyでも「資産として(無断で)利用させていたいている立場として、あまりに無作法な改変(翻案)」と可視化されるに至って、ようやく今回の声明が出てきたわけだ。
(ちなみに前編から「資産として」「復活できるか相当怪しい」まで、たった半月の出来事である)

 よく読みこんでみたい。
 自らの罪過をいっさい認めることなく、おろか「そこまでの贅沢も言えません」だのと同じだけの失敗を他人に許してしまうような無責任を、将来に丸投げして自分は引退しようとするのがk4nagatsukiさんの考える「責任」らしい。

 以前、彼を官僚みたいって揶揄したんだけど、まさしく官僚の無謬主義そのものなのよ。
 おぞましすぎて年末にゲラゲラ笑ってしまった。

 ここまで読めばわかると思うけど、真に受けちゃダメだよ、こんな発言。
 俺は悪くない、っていうためだけに、CardWirthと周囲まで巻き込もうとしてるワケだから。
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