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批評

狂言回し

本文なし


狂言回し(きょうげんまわし)とは、物語において、観客(あるいは読み手などの受け手)に物語の進行の理解を手助けするために登場する役割のこと。場合によっては物語の進行役も務める。
Wikipedia「狂言回し」


 TRPGにも「狂言回し」は存在する。ただし、方法として褒貶される二種に分けられる。
 ひとつはPCをアシストするタイプ。NPCであり、シナリオを補完する。パーティに同行したり、戦闘に参加することもあるが、役割は本来の狂言回しに近いものだ。
 もう一つは……PCが狂言回しになってしまうタイプである。

 
 ストーリー派の落とし穴

   確認しておくが、PCは主役だ。
 ――当たり前だ。GM、プレイヤー問わず、異論を唱える方はいないだろう。
 にもかかわらず、PCに狂言回しをさせてしまうGMは後を絶たない。そんなつもりはないのに、振り返ってみれば、結果的に役割を押し付けている。
 なぜ、このような自体になってしまうのか。
 この症状にハマりやすいGMを説明しよう。ずばり、ストーリーを作りこんでくるタイプに多く、シナリオを見せてもらうと、一見しっかりとした内容になっている。大まかなプロットを読む限りでは、何の問題もなさそうに見える。

 主役はどこに行った?

 しかしよく見ると、ある視点がすっぽりと抜け落ちている。ストーリーに出てくるのはNPCばかりで、PCの出番が見当たらない。
  エンドロールまで、シナリオ内の登場人物だけで完結している。すなわち、PCの入り込む余地がない――主役がいないのだ。
 そんなシナリオをプレイするとどうなるか。

 PC達が何をしても、世界に何の作用ももたらさない。脚本を持ったNPCが、手順通りにドラマを繰り広げてゆく。PCの出来ることといえば、ページをめくることくらいだ。
 ――想像してみてほしい。プレイヤー達の白けた視線、あくび、居眠り!
 主役のはずであるプレイヤーたちが、脚本も持たぬまま「進行役」を押しつけられる。これが狂言回し系GMに共通する「自己完結型」シナリオなのだ。

  たとえば、小説向けのプロットなら自己完結で問題ない。しかし、TRPGとなると勝手が違う。主役は複数人のプレイヤーであり、脚本はおろか、隙あらばシナリオの裏をかいてやろうと手ぐすねしている悪漢たちであるw
 あらゆる方法を駆使し、目的を達成する。行為が縛られないという建前がTRPGの魅力の一つであり、GMはそれに答える必要がある。
 主役はプレイヤーなのだ。GMもまた手段において自由だが、方法に見合う技量がなければ、みじめな敗北が待っている。



  よくある症状ではあるものの、一度経験すれば対応できるミスだ。他GMのマスタリングを参考にしたい。  
 ただし、こじらせるパターンも珍しくなく、申し訳程度の役割を用意して克服した、と思う人もいるし、ひどいものになると、プロットのセリフをPCの反応に組み込んでしまい、思い通りの答えが返ってくるのを待っていた。なんて珍例もある。





 
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