このブログを初めて以来、とある一本のシナリオを、やんわりとだが批評拒否している。Cobaltさんの「桃源郷の恋人」だ。
この作品については、イイんじゃないかな、というのが第一印象で、依頼への返答も好意的に書いたつもりなのだが、と同時に、作品として見た場合、どういう扱いにすればいいのか、とも、おおいに悩んだのだ。
私の言う「好意的な」印象は、ある条件を以ってのみ成り立つからである。
PC雑談型の欠点 このシナリオを始めとして、昨今では、PCが掛け合いをして話が進むシナリオがある。私は「PC雑談型」と呼んでいるが。
つまるところ、PCがシャべくるのがウケているわけで、特に口調分けに凝っているのが美味とされるらしい。
これを批評の観点からみたときに、どうか、と尋ねられれば、「
片手落ち」だと言わざるをえない。
以前、ASKの作品の批評をしたときに、PCはほとんど喋っていない、という話をした。なぜか? ……つまり、プレイヤーの想像力に任せるという、これ以上の方法がないからである。これは私が以前に「
狂言回し」というコラムを書いたように、TRPGのGMたちにとっては、これが自然の帰結だからであり、同時に、Cardwirthにおいても、この鉄則は有効力を持つ。
話を戻すが、さて、「片手落ち」とは、どういう事か。
もうすこし絞って言えば、どの層にウケているのか、だ。
女性層にウケている。というのは半分正解だが、ここはより厳密に分類してみたい。……つまり「
作者の提供する口調と人物像が気に入る層」である。
こう書くと、
PC雑談型の欠点は明白だ。「ウチのコはこんなこと言わない」とひとこと、言われてしまえば、それまでなのである。 仮に、だが、PC雑談型ではあるものの、極めて中立で、誰からもモンクが言われないようなテキストが書けたとする……しかしこれでも、ダメだ。「ウチのコはこんなに喋らないよ!!」という手合いもいるし、さらに言うなら、0か100かでもない。
どんなプレイヤーでも、勝手に喋りまくるPCの一言に、違和感を感じることはあるのだ。
TRPGのGMはどう対応するか。元々プレイヤーのセリフはコントロール出来ないのだから、PCが大きくリアクションできるような状況を作る。つまり、プレイヤーの各々が、頭のなかで想像をふくらませる、その場の話が盛り上がる展開を用意する。これが結果として誘導になる。これはCardwirthでも、そして恐らく、演出論の大筋においても通用するロジックだ。
さて、では、私がなぜ「好意的に」捉えたか。
一言でまとめると、
Cardwirthのプレイヤー層が変わったのを意識した。新しい層がシナリオを自炊し始めた。そして出来た作品は現実的だった。ということである。
さっきチョロッといったが「女性」が増えたよなぁ。と。
はっきり言ってしまえば、
普遍性をバッサリ切り捨てた(あるいは気づいていない)その作りを、かえって評価したのである。
じゃあ、いざ評論となって、どのような評価をすればよいのか。先にも書いたとおり、この手の演出は最適解が出ている上、それを実行し、性別嗜好を問わないシナリオもあるわけで。
なんにせよ、この方の作品は、迷うに十分なクオリティがあった。 ああ、同じような雑談型で、ちゃんと評価がついている作品は、書いてあるとおりなので、あしからず。
人の変化と流行 かつてシナリオブックのような作品が高評価を得る時代があった。一部の口うるさい、そしてあまり賢くはない、教科書の丸写しを好むスノビストが牛耳る時代だ。彼らの作った空気は不気味な同調圧力となって業界を覆ったが、結局はバブル。針の一刺しで萎んでしまった。
そして現在。今の状態は悪くないと思う。先にも言ったが、現実的なシナリオ作りには実態がある。需要と供給と需要があり、芯があるから萎むこともあるまい。
もちろん、人の変化と流行以上の評価を望まなければだが。