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批評

追記:「カードワースの環境」

本文なし
  カードワースだけの「評価」の追記

 「批評」は、読んで頂けるとわかるように、Cardwirth一般の評価とは少々異なっている。
 何故か?
 以前に書いたとおり「カードワースの枠を超えて」評価しているからに他ならないからだ。
 一見『ローカルゲームの事情を無視した』論理に見えるが、さて実際はどうだろうか。


  閉じられた世界ではない

 ちょっと考えてみてほしい。いったいCardwirth特有の技術や文化はどれくらいあるのか?

 たとえば有名な「アニキ」ネタ。これはゲーム「超兄貴」が元ネタだ。
 シナリオだと「凡作」などは古典のコピー。それも真似た事がよくわかる、型にはまったものほど評価される時期があった。
 Cardwirth自体は? 数値隠蔽は古い洋ゲーにちらほらとあり、中でも「Might&MagicⅢ」以降の顔グラのインターフェイスがWirthそっくりだったり。

 これはシナリオ批評の際に重要なポイントとなる。
 オリジナリティの問題ではなく、つまり手法や素材(世界観含む)は外から流用できる、ということ。
 音楽素材を例にとるとわかりやすい。その多くがCardwirth関連のサイトではない。
 背景素材ならどうだろう? サイズさえ調整すれば、やはりなんでもCardwirthで使うことができる。


  オーセンティック、ミニマル

 これは演出論や文章力でも一緒だ。
 カードワースの際立ったメリットなのだが、ジャンルを問わず、かつ短編が容認されているということ。しかもエディタは簡単で作らねばならない部分は少ない。
 独特のインターフェイスとは裏腹に、オーセンティックな手法がミニマル(最小限)な表現で通った界隈なのだ。
 だから作者は皆、得意なジャンルで勝負してきた。TRPG風でも良いし、「局外者」のように流行のホラゲーでも良い。小節が得意ならノベルゲームのようなものまで許容されている。
 つまりどういうことか? 腕に自信がある人はCardwirth外で作っても上手いだろう、という事なのだ。
(また逆もしかり……というより、こっちの方が圧倒的に多いだろうが)
 CardWirthで身を立てたジャンルを分業できれば一端の仕事ができるのではないか。上手い人はフィールドが違うだけで、その技術それ自体は独立している――
「批評」はここ。「この人・この作品はどこで作ってもこういう評価。説明できます」を目標に書いていた。(それとは別にTRPGのプレイヤーという固有の視点も持っていたが)
 そして逆理になるが「その作者と作品はノベルゲー・RPG業界全体でどれくらいのレベル・価値があるのか」という話にもなる。そういった次元でCardwirthのシナリオは語れてしまう。
 私のところで評価されていない作品は、この観点で弾かれているわけだ。

 もちろん「Cardwirthの名作もある!!」というご意見も多々あるだろうが。
 こういう書き方もできる。「ならばCardwirth特有のそれらを存分に活かした作品があり、それを周りが理解し、かつ推しているか?」
 あるとすればそれはCardwirthの名作と呼んでよいと思う。それを推してくる環境も一つ特有の評価基準を開発・共有している、と言ってよい。
 現実はどうだったか? まあ「カードワースの批評とはなんだったのか」に書いた通り。

 Cardwirthは閉じられた世界ではなく、多様に外と関係しているわけだ。


  2chとtwitter

 ここまでが過去の話。「凡作」までのCardwirth感だった。
 Cardwirth特有のメリット、つまり短編シナリオの作りやすさを活かした内輪ネタの応酬をする界隈が出てきた。昨今のPC雑談型もCardwirthならではと言っていい。
 だから昨今の界隈に「おおむね肯定的」だったりするわけだ。
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