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エイブラへム(ブラムは略称)・ストーカー(一八四七-一九二二)の手による『吸血鬼ドラキュラ』は、一八九七年イギリスで出版されて以来、一度も絶版の憂き目を見ることなく、えんえんと今日までその物語を世に問い続けてきた。
まさに不死のベスト・セラーであり、西欧諸国でも聖書のように多くのファンを持っている。今日、吸血鬼についてのもっとも普遍的な概念は、その大部分がストーカーの書物から生まれたと言っても過言ではないだろう。
確かにこの一冊の小説が起源ではないが、特異なキャラクターに、現実的なパーソナリティを賦与させた功績は、すべてストーカーに帰すべきものだ。
(中略)
ここで登場するのが吸血鬼ハンターともいえる科学者の一人で・アムステルダム大学教授ヴァン・ヘルシングである。この碩学の人物は、民間伝承(フォークロア)はもとより、神学、それに悪魔学(デモノロジー)にも造詣が深く、吸血鬼小説に見られる日常性の不自然さを、論理的(ロジカル)に納得させてしまうようなキャラクターである。
ヘルシング教授は、ルーシー・ウェステンの病状を、いわば神のような炯眼で見抜いてしまう。つまり彼女は吸血鬼に襲われたため、その毒素が全身にまわり、いまや人間から死後の世界で生きる魔物と化そうとしていることを。彼の推測通り、世間的には衰弱死により、彼女は彼岸の人となってしまうが、彼女の野辺送りがすんでまもなく不思議なことが頻発し始める、近在の子供たちが、つぎつぎと原因不明の死を遂げ始めたのだ。
藤波が部屋の女中同士の交際や上司へのお礼や頼み事に利用したのが、実家のある平井村の名産品黒八丈(くろはちじょう)である。
先にもふれたが、黒八丈は、黒一色の厚手の絹織物で、秋川・平井川流域でさかんに織られた。八丈と名がつくからには、伊豆八丈島の八丈織りと関連があると推察される。八丈織りとしては黄八丈が有名であるが、とび色の「かば八丈」や「黒八丈」も産していた。八丈縞は、八王子や桐生などで模倣され、まかひ八丈などと言われた。この地域の黒八丈も八丈島産のものにヒントを得て生産が始められた。ヤシャブシの実と泥汁に繰り返しつけて、黒一色に染め上げたもので、着物の裾や袖口、帯、羽織などに多く用いられた。寛政から文化・文政期に導入され、天保期には名産品となり広範囲に販売されるようになった。平井村では木綿縞も織られていたが、これは主に自家用であった。
藤波は、この黒八丈を糸や端切れ、反物などにして実家から送ってもらっている。
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