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批評

「CardWirthの批評」とはなんだったのか

本文なし
 来年、20周年ということなので、ここらで過去を清算しておく。
「CardWirthの批評」とはなんだったのか? 簡潔にまとめてみた。

 ※
 ここで言う「批評」とは、私のブログのことではない。
 はるか昔にあった、感想に対する一連の騒動。その総括として残った「批評」という言葉の説明になる。

 ※※
 この話は、20年以上近く昔の話を扱っている。
 話の筋はともかく、当時の人間関係や空気感をわからないと、ピンと来ない部分が多々あるかと思われる。


  「承認する」という問題

 まずはギリギリまで言葉を削って、批評の問題を総括してみる。

「個人の批評に対する対応が、批評そのものの批判ではなく、個人間の承認と、属するコミュニティへの承認問題にすり替わったこと※1による諸々の問題。
 結果、批評問題に対する過去の批判はそれを承認した側の問題とも癒着することとなり、批判機能そのものが麻痺。のちの作品に抑圧と停滞を引き起こした」


 次に、最初の段落をかみ砕いて説明してみる。

「(当事者たちは)言いたいことは言ったし、お互い悪いヤツじゃない。(批評問題の渦中にあった)批評は認めるよ。これからは注意しよう」

 つまり、批評(問題)を人間関係という個人間の承認と、(後に)それを丸くパッケージ化してしまう「コミュニティの事件化」によって、まるごと未解決のまま、呑み込んでしまったのだ。
 批評には蓋をしてしまったが、批評を書いた個人はコミュニティの個々人で認める。という状況が生まれた。このポイントを押さえておきたい。
 これが何を引き起こすか? ここからは「2ちゃんねる」を始めとする「匿名意見」の勃興と絡めて考えなくてはいけない。


  二重基準

 ここからは二つ目の段落の説明である。

 ご存じのとおり、ネットで感想、批評を止める方法は存在しない。
 作品をプレイすれば、いつだって「感想」にスポットが当たりうる。それが閲覧できる限り、新しく発見した人間はあらためて吟味するだろう。この流れは閲覧できる限り永遠に繰り返される。※2
 もちろん、「過去にコミュニティが承認」した批評にもその影響が及ぶ。

 ここで問題が起きる。
 批評(とその問題)が批判され、過去、コミュニティで決着をつけた問題が再浮上し、槍玉に挙がるとなると、これは批評家と批評の問題では済まなくなる――それを承認した個々人にも傷がつくことになるのだ。

過去の批評(問題)を俺たちは認めてる。さんざん揉めたし、書いてた人も悪いヤツじゃなかったから、悪く言われるのはイヤだなぁ。なにより批評は良くない!
 という二重基準が、のちのCardwirthに致命的な影響を与えることになる。
 Cardwirth固有の諸問題は、すべてこれに起因すると言っても過言ではない。※3

 まず結果として、過去の批評(家)を肯定するような屁理屈がいろいろと生み出された。
「地雷避け」「シナリオの質の向上のために」なんてのは、その好例である。
 冷静に考えてみたい。「質を向上させましょう」というスローガンを掲げていれば、質は向上するのだろうか?
 質とは何か。見た目が綺麗なこと?
 後世の匿名掲示板で「目に見える地雷」を楽しむ文化はなぜ生まれたのか。地雷上等であることをお互いに認識、明文化できていれば、地雷は許容されるのではないか。
 いや、そもそも、作り手はプレイヤーにもなるのではないか――選別すれば良くなるのか? そう思い至るのは難しくない。
 これらは皆、承認を正当化するためにヒネり出された言葉なのだ。

 また、過去の批判の騒動を「コミュニティの事件」としてしまったのも悪手だった。
 これにより包括された情報が広く流布してしまい、個人が考えるより先に忌避する状況が拡散、共有されてしまった。
 それだけではない。「(事件化した)批評を認める」というスタンスは、暗にその「存在とスタイル」を認めてしまっている。当時の批評家に限らず、後の感想に至るまで、(感想を書く側も含めて)Cardwirth界隈が個人の感想の域をまたいで過剰な反応を示したのは、「Cardwirthの批評」というイメージを引きずり続け、解決できない結果だった。※4

 匿名意見も見逃せない。
 これの発展による評価の混沌、過激化は、過去の「定まった評価」への権威を強化することとなった。※5


  そして「凡作」の時代

 方法の帰結として「凡作」が一世を風靡することになる。
「批評の問題」と「匿名の意見」の両方をクリアし、個人の判断とその質を問わず意見を集約する方法……それは麻痺した当時の批評と同じく「既存の権威に追従する」ことであった。
 既存の固まった、それもCardwirthとは直接関係のない、しかし内では認められている権威を輸入すればよい。最適解が「TRPGの模倣」であったというわけだ。
 結果どうなったか? 作り手は人気取りがすべてになり、受け手は思考が停止したまま、感想らしきものが書けるようになったことを意味する。※6
 これにCardwirthの数値隠蔽を是とする文化がのしかかり……それらの事情にぶら下がっていれば、互いにクオリティは求められなくなる。結果、作り手と受け手の間に負のスパイラルが生まれることになった。

 しかし結果として「TRPG風の凡作」が発展すれば、それはそれで良かったのではないか――そう考える向きもあるかもしれない。
 大変皮肉なことに、Cardwirthの作者であるGroupASKの公式シナリオが、つとめてTRPG的ギミックに優れた作品であるにもかかわらず、当時の作者たちはそのエッセンスを理解できなかった。※7
 だれもがプレイしたシナリオこそが、「凡作」の理想型であったにも関わらず、見抜けずに表層の模倣に終始してしまった。

 これは当然といえた。
 なぜなら、当時の作者やプレイヤーが欲しがったのは「凡作」でも「質の高い作品」でもなく「叩かれずに褒められたり、盛り上がったりする手段」だったからである。
 TRPG風シナリオは手段でしかなかったのだ。


  批判の壊死

 ここまでが過去の「批評問題」である。
 現在進行形の問題、それも批評が残したものがあるとすれば、それは批判能力の壊死だろう。
 ここで批評能力ではなく"批判"能力と書いているのは、文字通りの意味で、批評に限らず物事を批判的に見る力そのものが、界隈の中で萎えてしまった。ということだ。

 なぜ萎えてしまったのか。
 ひとつは批評の忌避。作品について提起することを界隈が封じてしまったため、大人数による多角的な見解が見えなくなってしまい、優れた意見を発掘できなくなった。
 提案できるような知的人材はどう対応するか。彼らは実状を理解する。そこに意見に対する発展が見て取れなければ、そもそも近づかなくなる。批判の力は死んでいく。
 界隈内の見解の分裂、野放図な認識は、界隈の内部でロジカルな意見を創造できないことの結果だ。
 匿名意見ならば、なんて考えるかもしれないが、これらも上記の環境に押しつぶされた、聞くに堪えない金切り声にしかならなかった。
 もうひとつは「過去の権威」の存在。10年くらい前は、この権威に追従する(せざるをえない)文化が残っていた。すると考えなくなる。作品を見なくなる。進んで受け入れる――受け入れてしまうくらいの馬鹿もいた。

 合意された批評は認める。後の批評は忌避する。という二重基準と、口さがない匿名意見の発展に追い立てられるようにして、大多数の人は(緊急避難的に)安定した評価に集合するようになった。
 が、これは結局のところ、外圧を無条件に飲んでしまうということで、批判する知性に楔を打ち込んでしまった。それこそ自己の内面にまで。

 残ったのは上記を受け入れられた人間か、はなから気づかない人間である。
 結局、ひどく見識の狭い、物事を考えられない空気が今日のCardWirthを形成している。




※1 いや批判されてただろ、という人は先に※2を読んで欲しい。

※2 作品をプレイすれば大なり小なり「感想」はもつだろうし、それを文字に起こして公開すれば、それが発見されるたび、発見した個人(の感想)とのあいだで常に新しく批判の対象となりうる。「二重基準」はこれを直接に阻害した。

※3 他にいろいろな理由が思い浮かぶかもしれない。しかしそれらは、他のネット界隈でも起きていたことだと思われる。この条件だけがCardwirth独特の現象だった。

※4 これに関係するサイトが「歴史」という言葉でくくって残してしまったのは痛かった。このサイトの試みが悪いわけではないのだが、歴史が歴史として機能するには個人の見解だけでは成立しない。↓の※5も重なり、これも「批評」と同じく、言葉だけが界隈を一人歩きしている状態である。

※5 罵詈雑言を避けるために「権威化」されて、それに従う形が生まれた。ネットによる「タテマエ」の崩壊に対応した結果である。これは批評に限らず、Cardwirthの個人やサイトに対しても同様の現象が見られた。内部データの理解を忌避する一方で、それを公開するサイトが堂々と薦められていた、などは典型だろう。

※6 ファンタジーなり、設定なり、まず評価されるべきは「作者(の発想・思想)」の部分なのだが、「地雷避け」を真に受けて、この点をまるきり無視したような作品が流行した。またこの「作家のQuality」を考慮しないのであれば、あらゆるものが模倣で済ませられてしまう。
 もちろん、それなら形式の部分だけでもいいから、出来がよければいいのだが。

※7 ※6のような界隈だからこそ、私のような凡作シナリオを専門とする三流TRPGプレイヤーが感想に参入したのだが、結論は書いたとおり。


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