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批評

「――っ。」

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「――っ。」

本文なし
「――っ。」
「――っ!」
「~~~っ!!」

 よく見る表現だ。意味するところは驚き、息がつまる、声にならない、など。一般に緊張状態を表す「定型句」として知られている。
 創作をする側は、定型句を使う際に気をつけなければいけないことが二つある。

 一つはこれが典型的な「手垢のついた、いやみったらしい表現」であること
 物書きにとって「表現」は重要なポイントであるにもかかわらず、これを既存の「記号」で代用してしまう。極端な話、一切の工夫をせずに記号だけで作品を作ることも可能だ。代わりに文章の創意は死滅する。

 誤解のないよう注釈すると、上手に使うなら、定型句は極めて有効である。ビジネス文書などは、定型句がなければ一行も書けないだろう。定型句がなければ、礼節を言葉で創造するところから始めなければいけないからだ。
 2chで使われる特有の「用語」もそうだ。定型句にすることで個性による摩擦を押さえ、発言をしやすくする。まさに「潤滑油」となっているわけだ。
 もちろん創作でも有効で、個性を出したくなかったり、特別な表現が必要ない部分であれば、定型句にすることで読み手の負担を軽くできる。

 定型文それ自体は悪くない。問題は2の方だ。


  実感のない記号


「――っ!」
「wwwww」
「ヒャーッハァー!」


 今、私は上の三つを打った。真顔で
 心はピクリともしない。しかし、定型句は書けてしまう。

 問題の二つ目は、定型句は定型の感情を引き出せると思っている人がいる事だ。
 自身は何も感じていないにもかかわらず、「記号」と化した定型句を打つことで感情を「表現」したつもりになっている。

 ニコニコ動画でコメントをしたことがあるだろうか。
 よく動画で見る「wwwww」「草」という定型句は、(基本的には)動画を見た視聴者が画面の向こうで笑ってるから書きこまれているのである。
 そこに創意はない。しかし「実感を記号として表現」しているわけで、表現としては成立している。

 しかし、「記号」と「実感」は必ずしもリンクしている必要はない。
 実感が伴っているかにかかわらず
「(この場面では緊張させたいから)記号として表現」
 も可能なわけだ。
 そこに感動はない。

 定型句は実感を持たなくても書けてしまう。
 実感が持てないまま筆が走ってしまうようでは、創作者として致命的な欠陥を抱えていることになる。
 これはどんな創作にも当てはまる。特にCardwirthの最近のシナリオを見ていると、ほぼ100%と言っていいくらい「実感のない記号」が使われている。

 真剣に作っている(あるいは作りたい)方は、注意したい。 
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