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批評

モノマニア ~荒らしと偏執狂~(後)

本文なし

偏執狂
ある物事に執着し、常識はずれの事を平気でする人。モノマニア。

偏執病
1つのテーマの妄想をもとに、周囲の出来事を次々に関係付けていき、妄想が広がるのが特徴(抜粋)


 現代は偏執狂の時代である。
 古くはディストピア系SFに付きものの疾患だった。時代は下ってSFに追いつき、高度情報化社会のディストピアでこの懸念はまったく現実のものとなっている。

 ここで、一連の件に頂いたコメントを紹介したい。
 注意して読むべきは、読み手のあなたがどれだけ客観的な確証を得られたか、である。

(人生の無駄、を読んだあとに)対して感想

「万が一の誤解」をしている一人として言わせて貰うと、内容に賛同できない。自分が「練々 寝々は竜殺しの墓が嫌い」という印象を持った原因は批評の文章の中から説明できるからだ。

「漠然とした評判だけは良い作品だ」(竜殺しの墓の批評より抜粋)
この一文がまさに余計な一言。まず最初に竜殺しの墓の世間的な評価を気にしたのは練々 寝々だったのだ。これを読んで、当時の自分は筆者の一つの人物像を想像してしまった。「なるほど、結局それが言いたかったんだな。自分の価値観にそぐわない作品が、世間から高評価を得ているのが気に入らないんだ」と、疎外感から生まれるアンチを想起させたのだ。実際、作品と、それに対する個人の評価を越えて、その作品の支持層まで揶揄するのは、このサイトの批評において珍しい事であるように感じる。要するに、分量は僅かなれど、その性質が極端に悪い。これ以外にも、そういった思考を誘導する要素は散りばめられている。

そしてもう1つ、自分が本当に竜殺しの墓の評判を気にしていたのなら、ある行動をとったはずである。Vectorに星5評価の投稿だ。現在のVectorの竜殺しの墓のページを見てほしい。とある人物が、9年も前に星2評価と共に、このサイトのURLを張っているのだ。そして、それを最後に竜殺しの墓に対して評価はつけられていない。誰か一人でも星5投稿するだけで星4.5表示にできて、見た目の印象が大きく改善するにも関わらず。こうして考えると竜キチさんとやらの入れ込みすら嘘臭くなる。不動の頂点たる竜殺しの墓が星4評価に甘んじている現状を9年も、現在にいたるまで放置するだろうか?なんの事はない。誰も、そこまで真剣に竜殺しの墓の世間的な評価なんて気にしていないのではないか。星2投稿をした彼を除いては。いや、そういえばもう一人、気にしてそうな人がいたか?まさかとは思うけど……。

竜キチさんを巡る一連の練々 寝々の反応は過剰に過ぎたと思う。物的証明はできず、個人の特定もできない匿名掲示板、その中のある一人の内面に関する話。解釈の余地はいくらでもある。その中で1つの可能性を掘り下げる一方で、1つの可能性を「んなわけない」と断ずるのはフラット、ドライとは真逆の態度だろう。

竜殺しの墓に対して好きとか嫌いとか、特別な感情はないドライな練々 寝々。匿名掲示板の一人の人間に対して偏った持論を展開してしまった練々 寝々。この矛盾に対する自覚がこの記事を書かせているのではないか。その矛盾の解消法にも無理がある。これこそは認知的不協和に起因する行動ではないだろうか。


 ちょっと想像してみよう。
 ネットにおける個人の行動が全てわかるとしたら――相手の心がのぞけるとしたら?

 竜キチさんは、竜殺しの墓の正確な支持を知るだろう。もう匿名掲示板で不自然な話題を提供することもない。狂信者と、狂った過去の書き込みが残るだけだ。
 コメントをくれた彼は、練々の本心がわかる。しかも5chにおける練々 寝々の大量の書き込みを見つけて狂喜するかもしれない。彼は自分の推理に答えが出たことで、妄想を広げ続ける必要がなくなる。

 つまるところ、ある5文字に立脚できない人間は、この世で無駄な時間をたれ流しつづける羽目になる……「わからない」。

 ほとんどの人間は「わからない」という状況に耐えられない。
 だからこそ無理にでも解釈しなければならず、手段を問わず空白を埋める行為になれていく。
 一番単純で効果的な解釈は、あなたの中から問題を消してしまうことだ。

 これは薬物の害に似ている。
 なんの解決にもなっていないのは自分でもわかっている。これはその場しのぎの考え――使用者は薬物の害を知っているが、それで薬物の害を防げるわけではない。次の接種では前より、さらに薬に蝕まれた身体で思考する羽目になる。そしてこの薬物には中毒性がある。情報の氾濫による不安や混乱を、自分勝手な解釈や行動で簡単にふさぐことができるなら、次の妄想をやめる理由はどこにある?
 こうやって、健康な心理や思考は蝕まれていく。

 竜キチさんとコメントの人は、すでに異常行動が客観的に見えるようになっている。
 竜キチさんは「不動の頂点竜殺し」の評判が時間にさらされ掠(かす)れていくのに耐えられなかった。認知的不協和を解消するため、現実に対し書きこみ続けた……10年以上匿名で。お手本に、見習われ続けなくてはならないから。
 コメントの彼はもとより偏執狂的らしい。アクセス解析によると今年の初めから週3以上、昼夜を問わずこのブログのすみずみを監視していた。カテゴリーのひとつひとつを丁寧にめくって。

 薬を断つしかないのだ。事実だけを見て否認せず、それ以上考えないことである。
 前編の記事がいい例だろう。客観的に計測できる事実が――解釈や仮説が、ではなく――力を持っており、とうてい否認はできず、15年以上続いたスレが潰れてしまった。ところで

5chにおける練々 寝々の大量の書き込みを見つけて狂喜するかも


 ほらやっぱり! ようやくボロ出しやがった! 奴の書きこんだコメントはどれだ!?

 声明がすべて真実とは限らない。うそかも。
 この一文を見てテンションが上がってしまったら……おくすり、出しておきますね。 


 ※(反転。自己責任で)
 気づいたこと。(低調とはいえ)ブイヨンさん本人が途切れず、いまだ活動中である点。
 この手のステマって傍迷惑と紙一重なわけで、事実「論われたら目も当てられない」。本当のファンなら作者を気遣うだろうし、ましてや本人が見てしまう可能性も考えると……。
 ただし、あらゆる利害がすべて一個人の活動に帰結すると仮定すれば、竜キチさんの存在も無理はなくなる。

 シナリオ単品ではなく作者個人を称揚していること。「見習えお手本に」。記念サイトの穿ちすぎた批評も。ちょっと、ザラリとイヤな推測を廻(めぐ)らさせてくれる。

 あくまで憶測の域を出ない点に注意したい。冷静になってみればこの可能性もある、というだけ。
 ただまあ、この記事を読んだ方は、荒らしが普通の物差しで測れないのはご理解いただけると思う。
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